今日のリバイバルナイトの写真です。
礼拝などで賛美歌を歌う時(通ってる教会で歌うのはオリジナルゴスペルですが)、心が温かくなり泣いてしまいます。
別に泣きたいわけではないのですが、心が満たされるというか……。
この感覚が好きでやみつきになって、それで私はゴスペルを続けたいし立たせてもらってるのだと思います(*´︶`*)
今日のリバイバルナイトの写真です。
礼拝などで賛美歌を歌う時(通ってる教会で歌うのはオリジナルゴスペルですが)、心が温かくなり泣いてしまいます。
別に泣きたいわけではないのですが、心が満たされるというか……。
この感覚が好きでやみつきになって、それで私はゴスペルを続けたいし立たせてもらってるのだと思います(*´︶`*)
ローマ人への手紙 11章29節
「神の賜物と召命とは変わることがありません。」
**
今日、聖書のこの御言葉を思い出しました。
毎月ある教会の集会。
「来てね。来たらビオラ弾いて。」と言われてたのに行かなかった。
集会を選べず、自分のことを選びました。
私は敬虔なクリスチャンではなく、自分のことを優先してしまう三流クリスチャンなのです。
神様に献身しなさいと言われ「献身します」と言いますが、実際には中身が伴っていません。
なので今日はまず集会に参加することを第一目標にし、ビオラは言われたら弾かせてもらおうと、自分のビオラは用意せずに教会のビオラを考えていました。
そうして集会のためにみんなで祈っている時にこの御言葉を思い出しました。
私は神様からの役目を行えない人間です。
役目を行えない者にその役目を与え続けるでしょうか??
私だったら他の人に任せます。
だけど、もしかしたら私に与えられているビオラの役目はまだ変わらずあるのかもしれない。
私の今日の願いはビオラで神様を心から礼拝し賛美し、その賛美が聞いている人の心に残ることです。
ヨハネの黙示録 6章2節
「私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。」
**
勝利の上に勝利。
今日、所属しているゴスペルグループが礼拝中に特別賛美を歌います。
夜もゴスペルテレビで歌います。
勝利(成功?)がほしい╭( ・ㅂ・)و
歌いきりたい!
ヤコブの手紙 4章8節
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心をきよくしなさい。」
**
今日はこころごすぺるです(*^_^*)
私の心は神様に近づけるでしょうか?
神様に心を向けて、心をこめて賛美できるでしょうか?
ヘブル人への手紙 11章16節
「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」
**
横浜に住んでる私ですが、どこかほかの土地に引っ越して住むことは考えてませんでした。
そんな中仕事で「沖縄で人が足りないので行ってほしい」とお願いされました。
断るつもりでいたところ、神様よりこの御言葉の「神は彼らのために都を用意しておられました」を与えられ、沖縄に転勤したのです。
沖縄ではよく遊びましたが、何よりも。
私の中心の働きであるビオラでのゴスペルをたくさんさせてもらいました。
横浜に戻ってきた今でも、その沖縄での関わりが続いて弾かせてもらっています。
神さまの言葉は真実でした(◍′◡‵◍)
ヘブル人への手紙
5章4節
「まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。」
5章7節
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
**
今日は所属しているゴスペルグループが、礼拝の中で特別に賛美します。
そのためいつもよりも早くに起きて教会に向かってます!
不真面目なわたしですが、神様が喜んでくださるゴスペルになりますように☺︎
テモテへの手紙Ⅰ 5章5節
「ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、」
**
昨日は日曜日、教会では礼拝がありました。
しかし私は寝坊したので……。
家のインターネットで礼拝をみてました(。-∀-。)
この箇所は教会の昨日のデボーション箇所であり、また昨日の礼拝のメッセージの箇所でした。
私がデボーションで気になった箇所とメッセージの箇所が被ったのは初めてなのでびっくり!
「神に望みを置いて」祈り、聖書を読みましょう。
マルコによる福音書 11章22節〜24節
「イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
**
私の通っている教会では、11月から新しい年度が始まります。
このマルコの箇所は今年度の教会のみことばです。
さて神様はどんな意味で語ってらっしゃるのでしょうか??
詳しくは明後日の礼拝で牧師さんから語られるはず(๑˘ ˘๑)*.。
楽しみ!