教会の徳となるために

練り切りとコーヒー。うまうま。

いつからでしょうか??

教会で賛美をする時、ビオラでゴスペルをする時に、

「教会の徳を高めるためのビオラとなるように」

と意識して祈るようになりました。

以前はビオラを弾けるのが楽しい、神様の働きのために自分のビオラが用いられて嬉しい、でした。

ある意味自分の喜びのために奉仕に立つ、でした。

でもそれが「教会の徳を高めるため」、教会や礼拝が良くなって神様が働かれるように奉仕に立つ、になったのですよね。

きっかけは色々あるのですが、いつかの白馬キャンプでのオーケストラセミナー。

オーケストラセミナーで講師の方に、

「例えば賛美リーダーが調子悪い時。助けとなる賛美をするんです。

メッセージを助ける賛美をするんです。」

そんなことを言われました。

これ、聞いた時すごく驚いたんですよね。

自分の賛美がそういう風に人の助けになるとは思ったことなかったんです。

賛美リーダーの調子の悪さにつられるんじゃなくて、逆にフォローをする。

良いメッセージとなるための道ならしをする。

礼拝の助けとなる。

教会の徳を高めるために、みんなの益となるために、っていうことをすごく意識させられました。

なのでそれからは、

「礼拝の助けとなり、教会の徳を高め、みなの益となるビオラができますように」

と祈るようになりました。

そして教会の徳を高めるオーケストラとなるように、とも勝手に祈ってます。

なぜならオーケストラセミナーで聞いたことだったから。

オーケストラも私も、今後どんな賛美をしていくのか楽しみです。

“あなたがたの場合も同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。”
コリント人への手紙 第一 14章12節

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