長崎チームで辛かったこと、自分が弱くさせられたことがあります。
「運転」です 。
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私の運転歴はかなりブランクが飛び飛びあります。
そもそも教習所に通って免許を取ってから7年近くブランクをおいて、それから沖縄で走り始めました。
危険なのでペーパードライバー講習受けましょうって思います。思いつつ、受けずに沖縄で運転していました(-∀-)
沖縄から関東に戻ってきてからは運転していません。電車が発達しているので車が必要な場面は少ないです。
というわけでそんなに上達せずに過ごしてきています。
運転は好きですが、1人ドライブがいいですね。
みんなで何度か練習し、これからの働きのことを考えるとやらなくちゃいけないと思い、臨みましたが。
散々な結果だったと思います。
そして運転を通して、過去の心の古傷が開きました。
「私は未だに進歩していないのか。変わっていないのか。」
「他人のペースで生きるのは難しい。」
「他人を愛し合うのは難しい。」
「古傷が痛い。」
そんなことを思いながら運転していました。
私はそんな感じでしたが、でも神様にとっては違ったのでしょう。
神様の手を見ました。
私が運転できなくても他のメンバーが運転してくださり、きっと私の下手な運転でも他のメンバーの助けとなる。
自分が全てできなくてもいい。
欠けていてもいい。
大丈夫。神様が共にいて働いてくださるから。
今振り返って、そう思えるようになりました
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私にとっては運転がその辛い部分、弱くさせられた部分でしたが、他のメンバーにもそういうことがあったと思います。
みんなの証を聞いていてそう思います。
私がそんな他のみんなの助けになれたかはわかりません。
何かをした覚えはないので……。
ですが今振り返ってみて、私たちは「御体の一器官」としてこのチームにいたんじゃないか。誰か1人でも欠けていてはいけなかった。
神様の下でお互いがお互いをフォローし合っていた。
最後は愛し合っていた。
そのように思います。
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私はこのチームで「神様がいかに自分を愛してくださっているか」を、みんなほど実感できていません。
なのでそういう証をすることはできませんが、「弱さに働かれる神様」は見させてもらったと思います。
弱くさせられ痛むことはあり、その他にも色々なことがありましたが、終わって振り返って「参加して良かった」と心から思えます(*^_^*)
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「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」
ローマ人への手紙 12章4-5節
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
コリント人への手紙 第二 12章9節
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今日ゆえあって運転しました。
運転のために最初にお祈りしたら神様から「大丈夫。行きなさい。」と言われました。
下手でもいいんだ。海を見ながら走るのが好き(๑˘ ˘๑)*.。